久月 家紋入れ [Qプレミアム]

 <久月の家紋入れ五月人形・破魔弓に関して>

「久月の家紋入れ可能」と表示されている五月人形・破魔弓に関しては、商品にある金色の丸い部分に家紋を入れることができます。
商品に申込書・家紋一覧表(限定323種類)が同封されていますので、お選びいただいた番号をご記入の上、久月に郵送して下さい。約2週間後、家紋プレートが送られてきます。【家紋一覧表PDF】 [Qプレミアム]

久月の五月人形には家紋が入れられます!

家紋入れに関しては、コチラでも解説しています。
・https://www.facebook.com/ouchiku/posts/844815282278220
・https://ameblo.jp/ouchiku/entry-12258003909.html

※限定323種の中に該当するものが無い場合は、「寿」・「出世」をお選びください。又は、家紋無しでも商品写真の様に金色の菊の紋様入りなので、問題なくお飾り頂けます。(該当する家紋が無いとの理由でのキャンセル・返品はお断りいたします。また、特殊な家紋を久月にて別途料金にて作製できる場合がありますので、その場合は申込用紙の久月お問合せ先へご相談下さい。)

節句人形faq

五月人形,特典

◆◆◆ 東京浅草橋「人形の久月」五月人形 正規販売店 ◆◆◆
久月の五月人形

===人形は顔がいのち「吉徳大光」五月人形===
吉徳大光

五月人形 戦国武将シリーズ
ケース飾り 収納飾り
兜平飾り 鎧甲冑
着用兜 着用鎧
子供大将 鯉のぼり
吊るし 名入れ旗

五月人形(端午の節句)-------------------------
「こどもの日」として祝われる5月5日。この日はもともと五節句の端午の節句にあたり、端午の端は「はじめ」という意味で、「端午(たんご)」は5月最初の午(うま)の日のことでした。それが、午(ご)という文字の音が五に通じることなどから、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着していきました。
江戸時代に入り、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。この節句は、家の後継ぎとして生れた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。3月3日のひなまつりが、女の子のための節句として花開いていくのに呼応するように、5月5日の端午の節句は、男の子のための節句として定着していきました。

【人形の久月】
久月は、江戸時代の天保六年に創立され、百八十余年の歴史を有する日本を代表する人形の製造問屋。主に、「ひな人形」「五月人形」「羽子板・破魔弓」に代表される節句人形と、「日本人形」「フランス人形」「博多人形」「ヌイグルミ」等を取扱い。又、人形の普及を考え「人形学院」を開校していると共に「久盛実業」という子会社には、「ヌイグルミ」等の製作部門を設けて商品の開発、製造を行っている。東京都浅草橋に本社を構え、東京久月の名で全国各地に支店を配置。各デパートや専門小売店へも節句人形を販売している。

【吉徳大光】
正徳元年(1711) に吉徳創業。現在地、江戸浅草茅町に初代治郎兵衛が人形玩具店を開き、徳川六代将軍 家宣公より「吉野屋」の屋号を賜わり、以来雛人形手遊問屋として吉野屋 治郎兵衞を名乗る。明治6年(1873) に、新政府の五節句廃止令に対し、敢然と節句品販売の存続を陳情、許可を得て業界を救い、明治以後、吉野屋 徳兵衛の略称「吉徳」を正式社名とする。現在は、創業300年を迎え、東京都浅草橋で江戸で最古の人形の老舗(みせ)として現在に至る。